ケンタカ ― 2014年08月22日
実は不肖イシバシ、こー見えて新潟高校の出身です。
一応、新潟県立の一番の進学校。てへへ。
で、その新潟高校を地元では『県高(けんたか)』と呼ぶんです。
戦前の『県立新潟中学校』を、『ケンチュウ』と呼んでいたのが始まりだとか。
それが戦後になって『県立新潟高等学校』となり『ケンコウ』に。
そうこうしている内に新潟工業高校が出来て、それと区別するため、
『ケンコウ』→『ケンタカ』
となったらしい。
なので、お年を召した方は新潟高校を『ケンコウ』と呼びます。
まあ、新潟県民のほとんどが『ケンタカ』と呼ぶのですが。
その事がなぜか先日の飲み会で話題になったんです。
おそらく、その場に新潟出身の方がいたためでしょう。
(某漫画誌の編集さんが新潟の方で、高校の話題になり、
僕が新潟高校出身と知るや「え、県高(けんたか)ですか!」と仰ってくれた)
『けんたか』という略称を面白がった森橋ビンゴさん(広島出身)とナズカトキオさん(茨城出身)が、
これをきっかけに新潟人と会うたび、
「ねぇねぇ、『ケンタカ』って知ってる?」
と聞いているそうだ。
で、その返答のほとんどが、
「えっ!? なんで県高(けんたか)知ってんの!?」
らしく、新潟人の『県高知ってる率』は今のところ100%だそうで。
その事が他県の方にとっては妙に面白いらしい。
とりあえず──
な、すげぇだろ、県高って。
それはそれで、夏の甲子園、日本文理高校の快進撃がすごい。
本日でベスト4入り。
この日本文理高校、僕の新潟の実家から徒歩圏内の場所にあります。
受験もしました。(県高に入っちゃいましたが)
なので、応援も熱が入ります!
頑張って欲しいなぁ、日本文理高校!
一応、新潟県立の一番の進学校。てへへ。
で、その新潟高校を地元では『県高(けんたか)』と呼ぶんです。
戦前の『県立新潟中学校』を、『ケンチュウ』と呼んでいたのが始まりだとか。
それが戦後になって『県立新潟高等学校』となり『ケンコウ』に。
そうこうしている内に新潟工業高校が出来て、それと区別するため、
『ケンコウ』→『ケンタカ』
となったらしい。
なので、お年を召した方は新潟高校を『ケンコウ』と呼びます。
まあ、新潟県民のほとんどが『ケンタカ』と呼ぶのですが。
その事がなぜか先日の飲み会で話題になったんです。
おそらく、その場に新潟出身の方がいたためでしょう。
(某漫画誌の編集さんが新潟の方で、高校の話題になり、
僕が新潟高校出身と知るや「え、県高(けんたか)ですか!」と仰ってくれた)
『けんたか』という略称を面白がった森橋ビンゴさん(広島出身)とナズカトキオさん(茨城出身)が、
これをきっかけに新潟人と会うたび、
「ねぇねぇ、『ケンタカ』って知ってる?」
と聞いているそうだ。
で、その返答のほとんどが、
「えっ!? なんで県高(けんたか)知ってんの!?」
らしく、新潟人の『県高知ってる率』は今のところ100%だそうで。
その事が他県の方にとっては妙に面白いらしい。
とりあえず──
な、すげぇだろ、県高って。
それはそれで、夏の甲子園、日本文理高校の快進撃がすごい。
本日でベスト4入り。
この日本文理高校、僕の新潟の実家から徒歩圏内の場所にあります。
受験もしました。(県高に入っちゃいましたが)
なので、応援も熱が入ります!
頑張って欲しいなぁ、日本文理高校!
ぶらざあのっぽ解散! ― 2014年08月31日
本日、僕が3年前まで所属していたシナリオライター集団『ぶらざあのっぽ』が解散いたしました。
小山高生師匠、本当にお疲れ様でした!
ここを卒業した身としては、解散という事実が寂しくもあり、だけど小山師匠のお体の事を考えると仕方なしという想いもあり…
正直、複雑な気持ちです。
それにしても、小山師匠との出会いがなければ──ぶらざあのっぽに入らなければ、
今お世話になっている方たちとの出会いは全くありませんでした。
そう考えると、人の縁の不思議さを恐ろしいほど感じてしまいます。
僕が初めて師匠と出会ったのは、
大学在学中に通っていたアニメ専門学校(夜間部のシナリオ演出科)でした。
しかも、師匠は特別講師として。
なんとたったの2〜3ヶ月!
(なぜ、特別講師になったのかと言うと、当時のクラス担当チューターが小山師匠の大ファンで、その縁がきっかけだとか。これもまた不思議な話です)
制作会社に就職しようか…と思っていた時に(なんかアニメ制作会社だけでなく、テレビマンユニオンとかハウフルスなどを視野に入れていたとゆーとんでもない人間です)、シナリオの面白さを知る事が出来ました。
小山師匠のお蔭です。
それが縁でアニメシナリオハウスに入所。
成績はイマイチでしたが(汗)、ホームページ担当としてぶらざあのっぽ入り。
事務所当番などを経て、ナンダカンダと今に至っています。
師匠にはシナリオの技術はもちろん、
シナリオを書く上で重要な事──自分がどういう人間であるべきか、何を求められ何を提供するべきか、人を楽しませるとはどういう事か、
などなどなどを教えて戴きました。
本当に感謝しています。
今の僕があるのも、小山師匠のお蔭、ぶらざあのっぽのお蔭──
今後も師匠から受けた教えを胸に、誠心誠意シナリオ道を突き進みたいと思います。
……ああ、何だか師匠との永遠の別れのような文章になってしまいました(笑)
まだまだ師匠は現役バリバリちゃん! 相変わらずのハッスルGさんとしてご活躍されるのでしょう。
でも、あまりご無理なさらないで下さいませ。もうジイジなんだから!
最後になりますが、師匠とぶらざあのっぽ出身の先輩、そして同期と後輩のご活躍とご健筆を心より願っております。
繰り返しになりますが、師匠、本当にお疲れ様でした!!!
小山高生師匠、本当にお疲れ様でした!
ここを卒業した身としては、解散という事実が寂しくもあり、だけど小山師匠のお体の事を考えると仕方なしという想いもあり…
正直、複雑な気持ちです。
それにしても、小山師匠との出会いがなければ──ぶらざあのっぽに入らなければ、
今お世話になっている方たちとの出会いは全くありませんでした。
そう考えると、人の縁の不思議さを恐ろしいほど感じてしまいます。
僕が初めて師匠と出会ったのは、
大学在学中に通っていたアニメ専門学校(夜間部のシナリオ演出科)でした。
しかも、師匠は特別講師として。
なんとたったの2〜3ヶ月!
(なぜ、特別講師になったのかと言うと、当時のクラス担当チューターが小山師匠の大ファンで、その縁がきっかけだとか。これもまた不思議な話です)
制作会社に就職しようか…と思っていた時に(なんかアニメ制作会社だけでなく、テレビマンユニオンとかハウフルスなどを視野に入れていたとゆーとんでもない人間です)、シナリオの面白さを知る事が出来ました。
小山師匠のお蔭です。
それが縁でアニメシナリオハウスに入所。
成績はイマイチでしたが(汗)、ホームページ担当としてぶらざあのっぽ入り。
事務所当番などを経て、ナンダカンダと今に至っています。
師匠にはシナリオの技術はもちろん、
シナリオを書く上で重要な事──自分がどういう人間であるべきか、何を求められ何を提供するべきか、人を楽しませるとはどういう事か、
などなどなどを教えて戴きました。
本当に感謝しています。
今の僕があるのも、小山師匠のお蔭、ぶらざあのっぽのお蔭──
今後も師匠から受けた教えを胸に、誠心誠意シナリオ道を突き進みたいと思います。
……ああ、何だか師匠との永遠の別れのような文章になってしまいました(笑)
まだまだ師匠は現役バリバリちゃん! 相変わらずのハッスルGさんとしてご活躍されるのでしょう。
でも、あまりご無理なさらないで下さいませ。もうジイジなんだから!
最後になりますが、師匠とぶらざあのっぽ出身の先輩、そして同期と後輩のご活躍とご健筆を心より願っております。
繰り返しになりますが、師匠、本当にお疲れ様でした!!!